ブリリアントベリー(欧字名:Brilliant Very、1990年4月11日 - 不明)は、日本の競走馬、繁殖牝馬。
自身は重賞タイトルに手が届かなかったが、引退後繁殖牝馬としてカンパニーなどの活躍馬を産んだ。
経歴
競走馬時代
1992年11月28日、中京競馬場第3レースの3歳新馬戦で塩村克己を鞍上にデビューし、2着に3馬身1/2差の圧勝で新馬勝ちを収める。その後条件戦2戦では1度武豊、その後全てのレースで手綱を握ることになる藤田伸二とともに2着、3着と好走した。しかし、初重賞参戦となる4歳牝馬特別では8番人気からの9着と惨敗してしまう。その後4歳以上500万下を6馬身差、臥牛山特別を3馬身差でどちらも1番人気で2連勝し、再びの重賞参戦となるローズステークスでも8番人気での出走となるが、13着に4馬身も離された14頭立て14着のシンガリ負けを喫し、このレースを最後に現役を引退した。
繁殖牝馬時代
引退後はノーザンファームで繁殖入りした。初年度はサンデーサイレンスと交配されるも、その仔は1戦未勝利に終わった。翌年はトニービンと交配されたが、産駒は誕生しなかった。
1998年に誕生したフジキセキとの仔であるニューベリーは、中央でオープンまで勝ち上がり、重賞タイトルには手が届かなかったものの9勝を挙げた。その後岩手競馬に移籍し、2007年に9歳にしてシアンモア記念を制し念願の重賞制覇を果たした。
その翌年の産駒であるトニービンとの仔のレニングラードは、2004年のアルゼンチン共和国杯を制し、産駒初の重賞初制覇を果たした。
2001年産の、重賞未勝利馬のミラクルアドマイヤとの仔であるカンパニーは、デビュー後から重賞で好走し、2005年の京阪杯で重賞初制覇を果たした。その後も産経大阪杯、関屋記念、中山記念など次々と重賞を勝つもGIタイトルにはなかなか手が届かなかった。しかし、8歳となった2009年、5番人気で挑んだ天皇賞・秋でウオッカやスクリーンヒーローといった強敵を打ち負かして悲願のGIタイトルを獲得した。さらに、引退レースとなったマイルチャンピオンシップでは1番人気に支持され、その人気に応える勝利を掴んだ。この8歳馬による平地GI初制覇という功績を称え、同馬にはこの年のJRA賞特別賞が贈られた。重賞を結果的に9勝したカンパニーは生涯で9億円以上の賞金を稼ぎ、ブリリアントベリーの仔の中では断トツで最も多くの賞金を稼いだこととなった。
その後しばらくは中央でオープンまで上り詰める馬を出すことは出来なかったが、2009年産のディープインパクトとの仔のヒストリカルが2012年の毎日杯を制した。
しかし、ヒストリカルを産んだ以降は6回種付けし3回不受胎となる。2012年頃にノーザンファームからハシモトファームへと移動したが、そこで誕生した産駒はハービンジャーとの仔で2013年産のプロジェクトのみであり、その年は種付けせず、以降の2年は不受胎であった。
2015年9月付で用途変更となり、その後の消息は不明である。自身が重賞未勝利のため、引退名馬繋養展示事業の対象になることはなかった。
競走成績
以下の内容は、netkeiba.comおよびJBISサーチに基づく。
繁殖成績
血統表
脚注
注釈
出典
外部リンク
- 競走馬成績と情報 netkeiba、JBISサーチ


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