本多 忠豊(ほんだ ただとよ)は、戦国時代の武将。三河国松平氏家臣。徳川四天王・本多忠勝の祖父にあたる。

生涯

松平氏に仕えて、その重臣として活動した。享禄2年(1529年)の岩崎城・野呂城攻めに供奉する。享禄3年(1530年)、宇理城の熊谷直盛を攻めた際に、敵兵が主君・松平清康に迫った時には自ら進み出て奮戦した。この功により扇の指物を賜った。清康の死後、松平広忠を伊勢国から岡崎まで迎えた。

天文14年(1545年)、三河安祥城をめぐる織田信秀との戦い(第二次安祥合戦)で敗北した松平広忠を逃がすため、殿軍を務めて討死した。三河国乗子の大中寺に葬られ、後に妙源寺に改葬された。

寛政6年(1794年)に岡崎藩主本多忠顕が建立した墓碑が安城市内に残る。

登場作品

  • 『徳川家康』 (NHK大河ドラマ 1983年)、演:山口嘉三

脚注

参考資料

  • 歴史群像『徳川四天王』 学研出版

関連項目

  • 本多氏

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本多忠勝が… 2013年11月25日朝ごろに世界のモツ煮込さんが投稿したお題 ボケて(bokete)

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