片福面 大五郎(かたおかめ だいごろう、1869年 - 没年不明)は、明治から大正にかけて活躍した大相撲力士。最高位は幕下3枚目。

人物

福島県出身。秀ノ山部屋所属。1889年(明治22年)1月、「小石崎」の四股名で序ノ口に付く。

1898年(明治31年)5月幕下に昇進。1900年(明治33年)1月に「達岩」、1903年(明治36年)5月に「片福面」と改名。

とてもひょうきんな性格で、タコ踊りが得意。また彼の写真が載った切手やハガキなども当時は売れたという。初っ切りも上手く、「形式上の勝負」がついた後、相方の力士から竹ほうきを放り渡され、それを手に前述のタコ踊りをしながら歌うのが常だった。ただし、その歌の内容は「下ネタ」であった。

後に19代横綱・常陸山の門下となる。常陸山にはたいへん気に入られ、宴会があれば必ず片福面を連れて行き、その席で決まって前述したタコ踊りをやらせていた。そのうちに本場所で勝った時にもこの踊りをやるようになった。

また常陸山「専属」のチャンコ番を務めており、「片福面の作ったチャンコでなくちゃ食えねえ」と言わせるくらいの腕前だった。

現役晩年は番付が次第に下がり、最終的には序二段下位まで陥落した1915年(大正4年)5月限りで廃業、常陸山(引退後は年寄出羽ノ海)が1922年(大正11年)に他界するまで専属でチャンコ番を務めていた。

成績

  • 番付在位場所数:50場所
  • 通算成績:不明(当時の幕下以下の勝敗等の記録については相撲レファレンス等のデータベースに登録がなく、特に明治30年代半ばまでの序二段や序ノ口などについてはほとんど現存していないと思われるため。ただし、少なくとも幕下在位時の対十両戦として2勝9敗の記録がある)

場所別成績

  • 各場所の地位は小島貞二コレクションの番付実物画像による。前述の理由により、勝敗数等については暫定的に対十両戦の分のみを示すこととする。また片福面の力士データ自体も相撲レファレンスに未登録である。

改名歴

  • 小石崎 兵吉 (上の名前の番付上の表記は「小石嵜」)- 1889年1月場所 - 1899年5月場所
  • 達岩 大五郎 - 1900年1月場所 - 1903年1月場所
  • 片福面 大五郎 - 1903年5月場所 - 1915年5月場所

脚注

外部リンク

  • スー女必見!?両国国技館・相撲博物館で「しこ名」に注目した展覧会開催 - イベントチェッカー

関連項目

  • 大相撲力士一覧
  • 四股名#変わった四股名

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大门五郎

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五郎五郎_把你泡进福尔马林站酷ZCOOL

这么多证据都能证明,小五郎的确是一个不简单的大叔! YouTube