池田 輝知(いけだ てるとも、万延元年12月21日(1861年1月31日) - 明治23年(1890年)4月30日)は、因州池田家第15代当主。最後の藩主池田慶徳の次男。妻は鍋島直正の娘・幸子。子は亨子(二女、池田仲博正室)、嚴子(三女、南部利淳正室)。
略歴
明治8年(1875年)5月27日、父・慶徳の隠居により家督を継ぎ、13代当主となる。岸本辰雄(旧鳥取藩士)らが創設した明治法律学校の後援者となる。明治17年(1884年)7月、華族令により侯爵を授与された。同年司法省法学校を卒業。
明治23年(1890年)に死去した。30歳。男子がなかったため、叔父にあたる徳川慶喜(15代将軍)の五男・池田仲博(輝知の従弟)を婿養子に迎え、跡を継がせた。
墓所は鳥取県鳥取市立川町の大雲院にあり、神号は池田輝知命という。
栄典
- 1884年(明治17年)7月7日 - 侯爵
脚注
外部リンク
- 目で見る明治大学の歩み #66 明治大学と「鳥取」の絆 - 明治大学史資料センター




